3連続で鬱日記、吐き出さないと破裂しそうだ。

トラックバックしたページを読んでたら、実に痛い記事があった。
http://daybreak.cocolog-nifty.com/keserasera/2005/01/post.html:Title
そうこれ。正にこの反応。
って、ウチはこちらの丸っきり逆の立場なのですが。
これが非常に辛いのだ。理解して欲しい相手からの『世間体・一般論的な罵倒』が一番きついんだよね。

辛い理由は幾つかあって、まず相手のその論調は、普段自分が思う世間から見た自分のポジションとして幾度も思って苦しんでいるものであること。
そして何より、相手がある程度はそう思っていたとしても、本質的には自分の状態を理解してくれているであろうと言う期待を、その罵倒でぶち壊されること(これが一番でかい)。
それまで案外笑顔で居た相手が、その切っ掛けが起こった瞬間に怒涛の如く『不満』をぶちまける様は、一気に絶望まで突き落とされるほどなのですよ。
これは、子供の頃、普段は優しい両親が、自分が悪さをしたために怒った姿を目にした時に、非常に似ている。
子供の頃は、それで物凄い恐怖と孤独を感じたものだ。
でもね、両親はその後すぐにいつもの優しい姿に戻って、しっかりと抱きしめて安心させてくれるものだ。
が、しかし、残念ながらそれが大人相手になると、相手も気まずいためか社会的距離を置く。
例えその後、笑顔で接してくれても、孤独と絶望は消えないのだ。
言うなれば、それは『教師』の対応に似ている。
『教師』がつい感情的になってしまった後、ギクシャクしながら浮かべる笑顔がそんな感じだった。
だから、おれは『教師』が大嫌いだった。
感情を出した醜い姿こそが本当の姿であり、その後の笑顔は偽物だと感じたからだ。

また明日も、おれは彼女が期待するであろうことを、幾つもこなせないままなのだろう。
そうしてまた、幾度も言われたように『どうしてその程度の事が出来ないの?』と呆れられるのだろう。
彼女の目には、怠けているとしか映っていないのだ。
つまり『割りに合ってない』と思われているのだ。
普通は『夫が働いて稼いで、妻子を養うもの』だし、発病(?)以前はそうだったのだから、その時と比べればそうなるのは仕方が無いのかもしれない。
何より『おれが彼女の立場だったら、きっとそう思ってしまう』と思うのだ。
だから何も言えないのだが、これが物凄く辛い。

今日、初めて彼女の前で泣いた。
突然涙が溢れてきて、抑えようと思っても堪え切れず、止める事も適わず、正に号泣していた。
必死に声を堪えようとする自分の泣き声を、別の自分が冷静に聞いていた。
その後、しばらくして、彼女はいつもの通りに仕事に行った。
いつもの様に距離をおいて、何も聞かず用事だけを頼んで。
今のおれが抱きしめられる相手は、娘以外に誰も居ない。
ふと、娘が居なかったらどうなるんだろうかと考えたが、慌てて止めた。
どうせ、ろくな考えが浮かぶはずも無い。
こんな日もある。でも明日は違う。きっと今日よりは良い日だ。