(危険!)酷い内容なので読む人は注意!

ここ最近、本当にダウナー状態でたまりません。
こういう時は寝てやり過ごすのが一番なんだが、娘を保育園に連れて行くことも出来ず、世話をしなくてはならないので、それも無理。
娘の笑顔ですら、自身に向かう刃となり得るし、それがまたさらに苦悩の原因となる。
見えない何かから「甘えるな!」とか「しっかりしろ!」とか、「立つんだジョー!(?)」と言われてる気がして、本当、憑かれてる感じだ。
あぁ、本当に生きる事が辛くなる。
もう早く役所の福祉保健相談係に相談しなくてはと思いながら、電話の前で固まる。
冗談ではなく、本当に苦しいのだ。

全く、鬱病なんてろくな事が無い。
一見ダラダラしてて怠けているだけのように思われるし、自分でもそう思うから余計に性質が悪い。
大抵の書籍には、家族の対応とか理解が必要だと書かれているが『現実問題として理解なんて不可能』なのだ。
鬱病になって、本当に恐ろしいのは『社会性』そのものだ。
『正常では無い状態=異常』であり、『一般的では無い=異常』であり、『普通では無い=異常』で、とにかく『異常である』とされる。
その『異常なモノ』は、多くの場合『正常とされる状態に強制』されるか、もしくは『異端として排除』される。
それが『社会性』として重く圧し掛かる。
これは強迫観念めいた理屈だとは自分でも思うが、今までの経験上から『そうとしか思えない』状態になっているため、本人に取ってはこれは事実以外の何物でもない。
だから、家族に対して笑顔を作り、通常の生活を営めると必死に無理をする。
が、結局は無理をした分、一気に大きな反動が返って来てしまう。
悪循環で本当にマズイやり方だとは理解してはいるが、残念ながらそれしか取り得る手段が見つからない。
離れている人達からは『腫れ物を触るような応対』を受け、身近な人達からは『通常通り、もしくは叱咤激励』なのだ。
http://www.utsu.jpなんてあったところで、そんなもん目にする人は居ない。
書籍を手に取っても読むのは最初だけで理解なんてしないし、そんなもんを読むなら漫画や自分の好きな本を読む。
異常性に関わりたくないためかとも思えるこの行動が、よりおれを苦しめる。
そして、この考え方こそが『自分は悪くない』と主張しているようで、本当に嫌だ。

鬱病は病気だと言う認識は、世間には無い。
社会性を失った落伍者であり、異端でしかないのだ。
そして、そうでない証明をするためのパワー自体が、鬱病のために無いとは何たる皮肉なのか。
愚痴は書きたくなかったのだが、もはや書いて発散しないとどうしようもない状態にある。

娘は可愛い。
妻も愛している。
その大事な人から、蔑みと感じられる応対を受けたなら、今のおれはどうすればいいのだ?
笑うことすら難しい。
言葉を返すことすら必死なのだ。
頭の中にぐるぐる回る言葉は『どうして、こんなことになってしまったのだろうか?』ばかりだ。

ネット上に鬱病系のサイトやコミュニティが多いのは、きっとそう言う部分にも理由があると思う。
自殺サイトや昔のドクターキリコ事件も、こんな状態になって見れば、必然としてそうあったような気にもなる。
IRCチャットやこの日記上の記事から、まさか本人がこれほど苦しんでるとは思わないだろうし、当然こちらもそう思わせないようにしているのだ。
そして、この手の記事を書くことの理由は『同情をしてもらいたいわけではなく、病気として一般認識して欲しい』と言うことに尽きる。
『頑張って』なんて言って欲しいわけじゃない。言われなくたって頑張ってるんだ。
ただ『異常』とされた人達は、普通に生きる事さえままならなくなるほどに追い詰められる。
それは精神障害や虐め問題だって同じなんだ。
貴方達の頭の中で、それらをただ単に異常と認識して処分をしないで欲しい。
その人達が、過去、もしくは別の場所では『普通に生きていた』と言う事実を忘れないで欲しい。
もし、人間が消費物のように『故障』や『不良品』で処分されるような世界であるなら、おれはそんな世界に居たいとは思わない。
例え消費物であってもそれに愛着を持ち、修理をしたり手元に置いている人間は、それだけで温かい人だと思う。

しかし現実は、例えそれが生きている人でさえ、そしてそれが愛する相手でさえも『壊れたモノ』を見るような目で見てしまうのが、おれの生きている世界だ。
もしリセットボタンがあるなら、押したくもなる。