しばし想いを馳せる日。

何故、おれは作曲をするのだろう?
問われて答えるとすると、通例から「自己表現」であるとか「感情の共有を音で行う」とか、なにやら偉そうでいて、さっぱり意味不明な表現が浮かんでしまう。
で、これは大抵思い込みか勘違いで、そもそも、作曲をするのは「それが楽しいから」以外にありえないはずなんだ。
ただ、それが仕事となると…。
自分以外の何かの為に製作し代価を受け取ると言うシステムが加わったとき、第三者が納得出来そうな立派な大義名分を持とうとするし、そうして初心を忘れ、苦悩し、混乱し、時には絶望したり、それまでの自分を否定したりと、色々な目にあうのだ(笑)

おれは過去に幾度か、全く曲が描けなくなると言う状態に陥ったことがある。
楽しいからこそ次々にアイディアも出てきたし、進歩もしたし、その先を目指す欲求が出てきていたものが、唐突に壁や溝が現れる。
その先へ行きたいのだけど、その時点では現れた壁や溝を埋めなくてはならない。
もしかしたらその壁は、基礎教育を受けていればなんてことの無い壁なのかも知れないが、楽しさだけで進んできた当時のおれには、とても超えられそうに思えなかったりして苦しむわけだ。
もう、その時は音が意味を無さなくなっていて、ただただ苦しい苦しいともがいているだけなんだな。
そうして、何とかその壁を乗り越えたとしても、もうその先を目指す気力が失われていた。
そこで、取りあえず休んで、仕事は仕事として別枠に置いて、趣味として先を目指すという方法も勿論あるし、実際そうして見ろと助言も頂いた。
そして自分が進みたい方向へ(それまでの反動もあって)がむしゃらに突き進んで、皆にその成果を出してみた時に受けたのは「お前何やってんの?」ってな冷たい世間の風だった(笑)
結果、おれが楽しいと思える方向では、仕事に結び付かないと言う現実に直面することになった。
ここで問題だったのは、おれは趣味を仕事にしてしまっていたんだ。
仕事と趣味と言う観念的な切り替えをしても、結局は作曲と言う同じ場所に立たされる。
進みたい方向は既に拒否された。
そうして、全く動けなくなってしまった。
趣味を仕事にするのは素晴らしいけど、実は純粋に楽しんでいた趣味すらをも失っていたわけだ。
その時はもう作曲を楽しむことすら出来なくなっていたんだね。

まぁ、今にして見ればね? 一つ一つをあまりに重く受け止めすぎているからこその出来事なんだけども、当時の若い情熱の塊だった頃のおれにはそれが当り前だったんだ。
熱かったんだねぇ(笑)
そう言う意味では、楽しみながら仕事をこなす奴ってのは、もう色んな意味でやたらと強い。
そんな新世代を、ものすっご〜く期待しているんだけど、それは再び自分に火を付けてくれる発火剤として求めているのかも知れない。
歳食ったんだなぁ〜、おれ(←今回のオチ)