作曲のスタイル

まぁ当然なんだけど、知り合いには作曲家が多く、作品やら手法やら、その苦悩とか聞くと、作曲のスタイルには色々あるんだなぁと思ったりする。
それ以前は、そんなこと特に意識はしなかったんだけどもね。
若い頃は、フレーズを作ってコードを探って、必死に流れを作ってってもとの調に戻らなくなるような(笑)、そんなガムシャラなスタイルだった。
ゲームミュージックはループが前提だったから、これで偉い苦労してた。
理論どころか、ダイアトニックコードすら知らないわけで、スケールだなんだなんて、未開の地の言語みたいなもんだった。

ある仕事で、Houseと言うジャンルの曲を作ることになった。
当然初めてのジャンルで、サンプル曲を貰って聴き続けたわけだけど、その仕事の時はまるでピンと来なくて、取りあえずこんなのだろうってな感じでOKを貰った。
でも、よく分からないままなんで、Houseの成り立ちと言うか歴史を調べて、そのテイストは何なのかを知ろうとした。
その時に、チープであっても皆で音楽を共有すると言う部分に、非常に感銘を受けた。
「これは、ゲームミュージックと同じじゃないか!」ってね。
限られた音源、メモリーの中でも、共有出来るグルーブを作る。
それはある意味で、徹底的に装飾を排除した音楽なんだ! と思った。
で、その後、曲の構成を自分なりに租借して、パート別のさらに細かいパーツ別製作手法にスタイルが変わっていった。
安定をキープしつづけるビートと、多少の違和感があっても浮遊感として感じられるコードワーク。
メロディーは、ロングトーンでもスタッカート気味なシーケンスフレーズでも、気分で組み合わせる。
そこにビートと同じく安定感を得られるシーケンスフレーズと、要所要所で効果的に現れる掛け上がり掛け下がりフレーズ、オブリ等など。
これらの組み合わせで、多岐にわたる要求に応えられるのではないかと思ったんだ。
この製作手法は、Techno系の製作手法ともいえるし、特にRemix時には楽に対応が出来た。
まぁ最近のDAWやら、ミックスダウンツールとかの概念的製作法とも言えるし、今ではツールを使っていれば普通に行っていることだろうけどね。

さて、何故こんなことを改めて書いているかと言うとだ。
ここ最近、自分の中でのロック熱と言うか、そう言う部分が非常に大きくなっていて、どうも自分の作曲スタイルの原点はロックにあるような気がしてきた。
パーツ別製作手法は今も昔も変わって無いんだけど、ロック系のリフ主体+ソロ的メロディの曲はすんなり出来たし、評価も高かった。
結果、バトルの曲とかボスとか、その手のばっか作らされてうんざりするんだけどもね(笑)
で、どうも自分は五線譜と言うか、鍵盤型作曲家では無いような気がし始めたわけです。
例のギターが欲しいと言うのは、そこに理由があったりもする。
何より昨今のJ-POPとかゲームミュージックとかの作風に、どうも馴染めないというか、工場生産品っていうか、今一ピッタリ来る表現が無いんだけども、違和感を感じている。
だからと言って、全部嫌ってわけじゃなく、それでも凄いものは凄いわけだけどね。
ただ、今のままのスタイルでは、先が見えないような感じがしている。
って言っても、現在の方法論で限界が見えているってわけではもちろん無いし、進歩のしようは幾らでもあるけど、そこに何か全く別の…それこそ、おれがHouseに感銘を受けた時のような視点の変化が得られる気がするわけです。

在野に埋もれた自称作曲家が何を言ってるって感じだけどもね(笑)
ギターを買えばそれが解決するってわけじゃないけど、少なくとも違う何かが見えるような気がするんだ。
…書いてて思ったけど、これって博打みたいなもんだよな(笑)
こりゃ家族の理解なんて得られそうも無いなぁ(笑)